ハンティングについて行ったり、獲った動物の捨てる部分で何かを作って・・・という制作欲が芽生えたのは、もう少し後、パリに帰ってからだった。しかし、何をどうすれば良いかわからなかった。ロジスティックをしてくれるヨルンのような人にアレンジをお願いするお金はなかったし、そもそもそういう器用で賢い考えが頭に浮かばなかった。スーパーやバーに、ハンター募集の張り紙をして、計画を遂行するつもりでいた。しかしそんなのでうまくいくだろうかと不安しかなかった。今思えば、もっとヨルンや周りの人に相談すればよかった。出発の少し前に、ロングイヤービーエンに住んでいるという日本人女性から、どういうわけか連絡をもらい、すこし心強かった。彼女は、2013年の秋に来たらしく、前回行った時はまだいなかったらしかった。
中継地のオスロでは、知人数人に、防寒のための下着や長靴を借りて回った。準備したハンター募集の張り紙のノルウェー語も直してもらった。オスロの女の友人たちは、なんでも「ハインリッヒ(前回の船の旅の船長)に頼みなよ!」しか言わないので、ハインリッヒは私のなんなんだと思っておかしかった。
ロングイヤービーエンは、雪で真っ白だった。マイナス40度まで大丈夫な長靴と、その他下着のおかげで、あまり寒さは感じなかった。というかあまり気温も低くなかった(マイナス3度くらい)。ただ、風が強くて、雪がつもらないでどんどん吹き飛ばされていくのが珍しかった。
現地に着いてから、スーパーも良いがアウトドア洋品店にも張り紙をしようと思いつく。ハンティングに行く人は、何か備品を買うように思ったからだ。そこで店員さんに、シッセルマンのことを教わる。
シッセルマンは、スバールバルの警察のようなもので、狩りをしたい人は皆そこに申し出て登録することになっているらしい。その時点では、なんだかよくわからなかったが、とにかくさっそくシッセルマンに向かった。