30.3.15

ブルキナファソの10日間(8)

早朝、ディエブグのゴミ捨て場に。再利用できそうなもの、ゴミでないものが、ほとんど無いゴミ捨て場。




ミユのお友達、Yの仕事先近くの市場で、犬肉があると聞き、連れて行ってもらう。ディエブグの町からバイクで20分くらい。風が強い。

9時頃着いて、辺りの人に尋ねるが「犬は売ってない」との事。戸惑っていると、どこからともなく緑のシャツを着たおっさんが現れ、ベニエ(粉物を揚げた軽食)をおごってくれた。Yの知り合いらしいが、Yは覚えていないという。

「あとで犬肉も来るから待て」と緑のおっさんは言った。犬やロバは、人間の仕事を手伝ってくれる動物。殺して肉を食べることに抵抗がある人も多い。そのせいか、犬やロバは、個人の家で解体するらしい。おっさんは「知っている人に聞いてあげよう」といって、市場から離れた村落に私たちを連れて行こうとする。この人怪しいのでは・・・とちょっと思った。

1軒目の家では、何もやってなかった。おっさんへの不信感が高まる。
2軒目の家では、犬をさばいていたが、もうほとんど終わってしまっていた。肉を鍋に入れ終わると、すぐニワトリが台にくっついた肉をついばみに来た。犬が煮えるのを待って、おっさんとブラブラした。




おっさんは、なぜか私たちを自宅に招き入れ、「写真撮る?」といって子猫を見せてきた。おっさんへの不信感がマックスに。ところが、Yはその子猫をもらうという。市場に戻り、子猫を入れるダンボールを探す。

「お昼に」とYはホロホロ鳥を買ってくれた。



犬肉を食べて、猫と鳥とバイクでディエブグへ戻る。おっさんはBさんといって、プラプラしてるけど、まったく悪い人ではなかった!



昨日の満天の星の焼き鳥屋さんで、ホロホロ鳥を解体してもらって食べた。店の裏で制作。



さばいてくれたのは16歳の男の子。仕事はお父さんに教わったという。ミユが合流して、知人のお子さん(2歳)がなくなったという悲しいニュースを伝えた。ホロホロ鳥は脂っこかった。


・・・


午後ふたたびキンダ宅へ。帰り、ミユのやっているNGOのメンバーAさんとすれ違う。私が来ているという話を聞きつけて、キンダの家まで会いに来てくれたらしい。そのままマキ(フランスのカフェにあたるもの)で話す。Aの計画を聞く。捨て放題になっている町のゴミをどうにかすること、子どものクリエイティビティを伸ばす活動をすること、など。

話していて、Aのとてつもない熱意と知性が伝わってきた。世が世なら大統領だった気がする。私の筆力ではとても表せないが、そういう人だった。Aにまた会いたいと思う。

・・・

翌朝、相乗りバスを乗り継いで、1日がかりでジニアレに戻った。ミユとYとAがバス停まで見送ってくれた。

・・・

制作で行った場所の空気を売っています。ディエブグの空気も追加しました。
最後の日の朝にとった空気です。

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29.3.15

ブルキナファソの10日間(7)

ワガドゥグから、車で5時間ほどのディエブグという町に向かった。

ディエブグには、ジニアレの知人の家に偶然遊びに来た、ミユという女性が住んでいる。ミユは、ディエブグのアーティストをサポートしたり、ゴミ問題に関わる啓発の活動をしている。初対面だったが、お互いのやってることを話して、すぐにディエブグに行くことが決まった。

ディエブグはワガより若干南にあり、砂漠化が進行するサヘル地域から外れる。そのためか、緑が多く、夕方には涼しくなるし、過ごしやすい印象。大きな樹の下に、ベンチが作っておいてあったりして、ほのぼのした余裕の雰囲気を感じた。




ミユの紹介で、町で唯一の芸術家というキンダさんに会う。キンダは絵を描いたり、彫刻を作ったり。ゴミから作ったというオブジェが、庭で出発を待っていた。近々、市役所に設置されるらしい。



アソシエーションのHP WOUNTGO SUI





夕方には、偶然すれ違ったミユの友人と、なぜか二人きりでミユを待つことに。ベンチで夕日を見ながら、彼女のやってることやわたしのやってることを話した。

彼女の食べ物に関する、科学的で正確な知識に驚いた。わたしの作品制作には、食べ物がどこからくるのか?命がどのように終わるのか?などの問題が関わっているが、あくまで自分の中からとらえた世界の見え方にこだわっている。その見え方は、必ずしも科学的な事実と合致しているわけではないし、客観的事実を伝えるのはわたしの仕事ではないとも思っている。だからこそ、近い関心ごとを、とてもちがった視点でとらえて、それにもとづいて真摯に行動している彼女が素敵に見えた。彼女の仕事場の近くで解体があるはずだからと、連絡をくれると約束してくれた。



日が落ちるころ、町全体が停電にみまわれた。停電はよくあるけど、ここまで長いのは珍しいという。それでもみんなは働く。まっくらな往来を小さな携帯のあかりがちらちら行き来する様子は、ちょうちんを彷彿とさせ、何かお祭りのようだった。



夜、ミユと友人に、鶏肉を食べに連れて行ってもらった。

鶏は、その辺で飼っているのをさっき絞めたようだった。食べやすい大きさに切られた二羽ぶんの肉が、スパイスと一緒にお皿に乗っていた。一切れごとにパーツが違うので、味が変わっておもしろい。ついている肉は多くはないが、ひたすらおいしかった。(が、写真はムトン)



停電のせいであたり一面真っ暗すぎて、わたしには、隣の席すら見えなかった。屋外の席で、懐中電灯で、お皿の上だけ照らして食べていると、空が星でいっぱいなことに気がついた。去年スバールバルで見たよりも明るい、満天の星だった。パリに帰ってから「ディエブグの鶏さいこう。パリのレストランは最高でも三ツ星だけど、ディエブグは星3万個くらい」と言い続けているが、ぜんぜん誰にもウケない。




21.3.15

ブルキナファソの10日間(6)

この日は早起きして、バスでふたたび首都ワガドゥグへ。



アフリカ=サバンナ+シマウマ+燃えるような夕焼け、という典型的なイメージ、あれはブルキナファソじゃないんだなあーとこの写真を撮った時ふと思ったのですが、今見返すと、やっぱり空は毎日きれいでした。


ブルキナファソ国立美術館(Le Musée National du Burkina Faso)に行きました。



ちょっと広大すぎる敷地が印象的だったのですが、今しらべたら29ヘクタールもあるそうです。東京ドームが4,7ヘクタールらしいのでかなり大きい。


必然的に、門から最初のパヴィヨンまでかなり遠い。今回見学可能だったのは、コットン館、マスク館、塑造館の三館。中でも、ブルキナ全国から集められたお面が展示されているマスク館は、かなりおもしろかった。どれもだいたい19世紀〜20世紀まで実際に伝統行事や祭壇に実際に使われていたものらしい。



マスク館の展示は、大きく4種類にわかれている。

①雨乞いのマスク
農業関係で雨がちゃんと降るように、お祈りするときに使った

②願い事のマスク
家の中などに飾られていて、特別な願い事があるときに頼むマスク。願い事を言うときは、「もしもそれがかなったら、何をお供えするか」を約束する。かなったときは、数カ月以内にそれを持ってお礼に行かないと、バチとして、かなったものがおじゃんになるという言い伝えらしい。シンプルかつ即物的。

③教育のマスク
個人的に一番興味深かったのがこの教育のマスク。昔、村々では子供から青年を教育するために(だいたい7歳から21歳くらい)、学校のような寺子屋のようなものがあったらしい。そこで使われたマスク。自然界の動物の習性から、社会生活に必要な知恵や規律を学んだという。



例えばニワトリのマスクが教えるのは、「統率力」。ニワトリの世界は、一夫多妻制。メンドリどうしがけんかしたり、力関係が不平等になったりしないように、雄鶏にそなわっている「統率力」を観察しながら、子供に教えた。



カメレオンは、観察力、客観性、寄り道しないでまっすぐ目標をめざすこと、お年寄りとの関わりを大切にすること、郷に入ったら郷に従うこと、などを教える。

近代の学校教育は「算数」「理科」といった教科にわかれているけど、それが「ニワトリの授業」「カメレオンの授業」というふうだったのかなあと想像すると、ちょっとおもしろい。

④お祭りのマスク
だがマスクをかぶった人が外に出るのは夜中だけで、そのあいだ人々は家でおとなしくしていないといけないという決まり。灯りもないので、そのマスクは誰も見れない。もしも祭り中に家でおとなしくしてない場合は、マスクがわらぶきの屋根を奪いにくる。なまはげ的恐怖マスク。



袖が床につくほど長くて、魔女を叩く仕様になっている。


この①から④の分類のしかた自体もおもしろいなと思ったし、マスクの使い方を聞いて、近代化する前のブルキナの人たちが、どんな規律で暮らしていたのか垣間見える気がした。そんな精神性が、近代化した今でも脈々と息づいているのが、ちょっとした拍子に見える気がすることもあった。

学芸員の方が、展示品に本当に詳しくて、説明がやたらおもしろいし、細かく言うと他にも「納税をうながすマスク」とか、とにかくおもしろいのでブルキナファソ国立美術館は本当にオススメ。入館料は1000FCA。撮影禁止の張り紙にもかかわらず、同じ学芸員さんからOKがでました。

写真といえば、instagramにも旅の写真載せています(一部この日記と重複あり)

それからもう一つのわたしの活動、空気も売っています。
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第一弾はジニアレです。どうぞよろしくお願いします。




2.3.15

ブルキナファソの10日間(5)


出発前、知人には、「動物の解体現場に興味がある。写真が撮れたら嬉しい」と簡単に希望を伝えていたものの、制作として何をどこまでできるのか、まったく未知で一定以上の期待はできなかった。ブルキナの人々の慣習、とくに食肉と屠殺、宗教が関る部分と、そこで私自身の人種や性別がどう受け入れられるんだろうかってこと。出発前に得られる情報はごくわずかだった。

ところが到着してみると、知人が、ちょうど数日前に近所で解体場を発見したという。私と一緒に立ち寄ることも、写真撮影の承諾も、もらえたという。(それも発見した当日、たまたま解体作業が遅れていて、彼女がいつも通る時間まで作業が続いていたために見つけることができたらしい)。月曜日がマルシェの日だった。




朝7時。解体場は、半分おおわれて半分閉じた野外劇場のような建物だ。
そこにヤギ(現地の人はヤギも羊も「mouton」と呼ぶ)が、少しずつ運ばれてくる。ヤギは四肢を結ばれて、自転車のカゴなどに入れられてくる。「メエエ」とか叫ぶヤギもいるし、静かなのもいる。屋根が途切れるあたりに、床のタイルが少し高くなっている部分が二つ並んであって、真ん中が溝になっている。その高くなっている部分をまくら代わりに、ヤギの頭をのせて、職人たちがナイフで首を切っていく。切り口から吹き出した血が、うまく溝に入って、建物の外に流れていく仕組みだ。






血が流れきったら、頭を切り取り、消化器系を取り出して、皮をはぐ。だいたいの手順はトナカイと変わらない。捨てる部分はほとんどない。内臓も頭も、ひづめも、毛皮に包んで持ち帰る。捨てられたのは血液と(トナカイなどと違って、血は食べないらしい)、消化器系の内容物、そして胎児が入った胎盤だった。

時間がたつにつれて、人が少しずつ増えていき、それぞれがヤギ一頭にかかりきりになって黙々と働く。終わったらつぎのヤギ。個人作業だ。私は間を行ったりきたりして、撮影したり、質問したりした。どの人もみな、まっすぐに答えてくれた。また、捨てる部位が出た時は「これいる?」と聞いてくれたり。俺の写真も撮って!とか。少しだけ仲間になったような気分。






この場の最年長者らしい人は、くしゃとした柔らかい顔でわらうおじちゃんだった。イスラム教徒で、豚やロバは解体しないらしい。くしゃっとした顔で時々周りと笑いながら働いているが、ナイフさばきがすごかった。




終盤になって、獣医さんたちが来て、病気のチェックをして検印を押していった。寄生虫が見つかった一頭以外、すばやくバイクや自転車に積まれてマルシェに運ばれていく。




私は作業で手が血だらけになってしまったので(ちなみにこの施設に水はない。職人たちは、ヤギの体や壁で器用に手を拭いながら作業していく)、近くの小学校の井戸で手を洗わせてもらった。





そして流れで授業まで受けさせてもらった。1クラス100人程度。クラス分けせず一学年まるまるらしい。フランス語で行われる、一年生の算数の授業。この机の幅やクラスの規模に日能研に似たものを感じる。ただ、みんなノートじゃなくて黒板にチョークで勉強している。




先生はものすごくスパルタで怖い。さっきまで優しかったのに授業中はコマイヌの顔になった。当てられて6までしか数えられない子を容赦なく平手打ち、土下座させる。切ない。「わからない場合は手を上げない方がいいよ!」と心の中で叫んだ。しかしみんなは果敢にも競い合って挙手していた。





帰宅して、カメラのモニターでこの日撮った作品を見て、一人で興奮した。知人に、そしてその友人にも、何から何まで、お世話になった。特にこの日のことは、感謝の念が尽きない。