27.11.15

福島県大熊町 /NO GO ZONE of Fukushima(3)

国道6号線沿いを、草野さんの運転で、スクリーニングポイントへむかう。

向こうに雲が見えるでしょう。海の上に。波があんな風に見えた。見えた時はもう遅い、見たら終わりだった。みんな車で100キロくらい出して逃げた。車同士がぶつかろうが構わなかった。反対車線も関係なく走った。

恐ろしい話だと思った。


いたるところで工事が行われている。
この辺はきれいになった、片付いた、と草野さんたちがしきりに言い合っている。



国道6号線沿いの居住制限地域(用事のために日中立ち入ることは可能だが、住むことは禁止されている地域)では、「しまむら」や、(元)結婚式場に、灯りがついている。
駐車場も車でびっしり埋まっている。止まっているのは、みな似たような白い車だった。

それはもちろんしまむらが営業再開しているわけではなく、借りあげられて、除染作業の事務所になっているからだそうだ。








6号線は車どおりが多い。

どの車もびゅんびゅんと忙しそうに行きかっている。
不思議な雰囲気だ。

当然だけど、田舎で時々見るような、手をつないで散歩に行く幼稚園児のグループや、ちょっとよろめきながら進む老人の自転車はない。なぜか「戦争ってこんな感じなのかな」と漠然と思う。



つづく

17.11.15

福島県大熊町 /NO GO ZONE of Fukushima(2)

草野さんと待ち合わせの前日に、南相馬に入った。

あらかじめ宿を取ろうとするも、南相馬周辺のシングルルームは本当にどこも満員だった。
電話口で、相馬のホテルを当たってみるよう勧められたりした。しかし相馬と南相馬はけっこう離れている・・・

最終的に、南相馬のあるホテルが、一人利用の料金でツインルームに泊めてくれるという。
後で聞くと、作業員の利用で、シングルルームの年内の予約はいっぱいらしかった。

仙台から南相馬へ高速バスに乗った。深い山の中を行く。霧がかかるなか、紅葉がきれいだった。北ノルウェーで乗ったアルタ〜カラショーク間の高速バスから見た光景を彷彿とさせる。
カラショークは、チェルノブイリ事故で、放射能に土壌が汚染されていた。
ここはどうなんだろう・・・と考える。
でも放射能は見えないので、ただきれいなだけだった。


南相馬に近づく頃には、日が暮れて周りがよく見えなくなってきた。暗い側道に、時々「××仮設住宅→」のような立て看板が立っているのがバスから見える。
道路の大きさや建物の密度は、秋田にとても似ているのに、車どおりがやたらと多いように感じる。それも結構なスピードを出して走っている。もう暗いのにあたりは工事が続いている。ざわざわとして感じる。



宿はJR原ノ町駅前だった。原ノ町は、静かで整った町という印象。




翌日は、朝までの雨が上がって晴天だった。
ホームセンターでとりあえず買ってきた防塵マスクを持ち、長靴とレインコートを着て出かけた。


つづく



16.11.15

福島県大熊町 /NO GO ZONE of Fukushima

福島第一原子力発電所付近の、帰宅困難地域に、空気を取りに行った。




国道6号線からちょっと入って、近くを通っていきましょう。一軒だけ残っている家があります。その家の方は、津波で二人のお子さんとご両親を亡くされた。遺体はまだ見つからない。行方不明になった遺体は、遠くの県で見つかることもある。近場の警戒地域が解除されると、そこで見つかることもある。まだ解除されていない帰宅困難地域がある限り、そこに家族がいるのではないかと、この土地をはなれず探し続けている。







(※写真の家は、上の話とは無関係です)


草野さんはドライブの最初に、そんな話をしてくれた。

メモも何も取らないで聞いていたので、わたしが書くことは、もしかしたら細部やニュアンスが間違っているかもしれないと思う。それでもこれはわたしの旅のノートなので、受けとめたように書いておこうと思う。

福島県南相馬市から、大熊町の帰宅困難地域への旅は、「フロンティア南相馬」の草野さんとお友達、そして「りんご野」の藤本さんの多大なご協力により実現した。

冒頭の話の方は「福興浜団」という団体で活動されている。


つづく