8.4.15

ブルキナファソの10日間(最終日)

滞在の最後の日、早く起きてジニアレを散歩した。刑務所の方に続く一本道を自転車で行く。



天気が良く、泣くほど木がきれいだった。


道すがら、数人に話しかけられた。会話がメモしてあるので、書く。
とりとめもないが、そんなことが、自分にとってはだいじなような気がしている。

二人組の女性。

「どこ行くの」
「刑務所」
「こっちから行けないよ。一回大きい道に戻って、大回りしないと」
「そうですか。ありがとうございます」
「刑務所になにがあるの?」
「刑務所自体じゃなくて刑務所の前の道に行きたいんです。昨日通ったらきれいだったから」
「そうなんだ!そうだよね」(大笑い)

















三人組のお兄ちゃん。

「何の写真を撮っているのか」「何に使うのか」
なんだか少し尋問みたい。
「木の写真。個人的な思い出のため」「私、旅行者なんだ。今日帰るんだ。」
「ああそうなんだ。思い出ね」「思い出だって」「思い出って?」「思い出だよ」「あー思い出か」

「ところでこの国には、悪人(méchant)っていないの?」
「いない」3人同時に答えた。
「じゃあなんで刑務所があるの」
「自分のために働かないで、人のものを盗んだりするのは良くない(pas bien)。そこを矯正(courriger)するのが刑務所。悪人とは違う」























油スタンドのおじさん。

「お金くれ」
「え・・・」
「生活が苦しくて困っている。助けないのは優しくないでしょう」
「お仕事はなんなんですか」
「雑穀農家。あまりもうからない」
「油のスタンドは?」
「前はもうかったけど、今はだめ」
自転車に乗った男の子が近づいて来た。
「お子さんですか」
「そう。息子が一人で、娘が5人。あなた名前は?」
「佐代。あなたは」
「なんとかコンパオレ」
「え、元大統領の親戚ですか?」
「遠い親戚」
「スタンドの写真撮っていいですか」
「いいよ」























10歳くらいの女の子。

「雑穀の写真撮りたいですか」
「え・・・はい」
「あっちです」側道の方向を指差す。
「あっち・・・」指された方向はただ広いだけだった。誘拐されるような気がした。「・・・雑穀があるんですか」
「あります」

私はついていった。

「私はマリーって名前で、クリスチャンです。」
行儀がよくて、かわいい声の子だなと思う。ますます怖い気がする。























なにかの罠かと思ったが違った。奇跡みたいにいい子だなと思った。どんな女のひとになるんだろう。






















午後、ワガドゥグへ戻り、空気を取る。

「何してるの」
「空気をとってます」
「あーなんかの調査か」
「ううん、おみやげ」
「ふーん」



19時、飛行場へ向かう。空気をとったのと同じ交差点で乗り合いタクシーを探す。が、ぜんぜんつかまらない。写真の左のお兄ちゃんが、「友達がバイク持ってるから、送って行ってもらいなよ」という。

「え。知らない人だし、ちょっと怖いです」
「僕はこの店のオーナーの息子で、友達はずっと前から知ってる友達だよ」
「・・・」

トランクを前に乗せて、リョックを背負った私を後ろに乗せて、80ccのバイクはフラフラだった。帰宅ラッシュのワガ中心部を通りぬける間に、夕日が沈む。事故にもあわず、誘拐もされず、私は飛行場に着いた。

・・・

ゲートが開くのを待つ間、一人でぼーっとしていると、不安な気持ちになる。


◎ブルキナファソはたのしかったが、長く住んだら耳に砂がつまって病気になるのではないか。

◎滞在数日目から、明らかに暑さに耐性がついた。これから再び寒い中に戻って、体調を崩すのではないか。

◎今朝の散歩中にフィルムカメラで撮影したことを、急に後悔しはじめる。日差しのまぶしさや、雑穀農家の女の子のことが目に焼き付いている。でももしかしたら、ちゃんと写ってないかもしれない。



わざわざ遠くへ出かけた先で、とりとめのないことばかり話したり、考えたり、帰ってきて思い出したりしている。
そんなとりとめのないことが、自分にはとても大切な気がしている。

・・・

制作で行った場所の空気を売っています。ワガドゥグの交差点でとった空気も追加しました。

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2.4.15

ブルキナファソの10日間(9)

滞在10日目。ジニアレから、バイクで一時間ほど行った村の市場で、豚の解体を見学させてもらう(今気づいたが、滞在は全部で11日間だった・・・タイトルの「10日間」は間違いだった)。今回も、知人があらかじめ下見をしておいてくれた上、バイクで村まで連れて行ってくれたのだった。




豚は四肢を縛られた状態で、屠場に連れてこられる。屠場といっても野外。まず喉を切って、血をあらかた抜く。燃やした藁で全身を炙り、体毛を焦がす。焦げを洗いながら、石でこすって毛をとりのぞいていく。最後、カミソリで仕上げ。豚はすっかり色白になる。



下腹から切って、消化器系を取り出す。腸の最後と、生殖器は捨てていた。腸は大腸、小腸つながったまま、内容物を取り出し、血を入れて、ソーセージ状にしていた。



腸の内容物を拾いに来たおじさんがいた。普通、腸の中身は捨てるので、少し驚いた。漁師だという。エビや小魚を釣る時に、良い餌になるらしい。

生殖器と、一頭だけいた病気の豚の内蔵を使って制作した。作ったものは、すぐにハゲタカに食べられた。



肉の部分は、市場の台の上で、大きな刃物でたたき切られていた。歯などは、犬が拾って食べていた。どこも残らなかった。


・・・


午後、ジニアレ市内にもどり、マキの厨房で制作させてもらう。


ニワトリが4羽。腸と胃、羽を捨てる。撮影させてくれたBさんは、トーゴ人。ブルキナに来て8年になると教えてくれた。夜、トーを作ってくれたCさんが来て、一緒にこのトリをご馳走になった。やはり極上においしい。


寝る前に耳掃除をしたら、綿棒が砂で真っ赤になった。驚いた。

・・・

制作で行った場所の空気を売っています。ジニアレの空気も追加しました。

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