28.3.16

福島県大熊町 /NO GO ZONE of Fukushima(4)

スクリーニングポイントで、名前や年齢を確認してもらう。
そしてここで、防護服やマスク、手袋を無料でくれたので着た。というより着せてくれた。

防護服の上下、マスク、髪の毛を保護するキャップ、屋外の物を触る用の手袋、室内の物を触る用の手袋、いつも付けている用の手袋、靴の上にはめるタイベックスの靴下。
一式が入ったビニール袋が渡される。

着替えるためのプレハブもあって、中には椅子とテーブルが用意されている。
私たち三人に対して、女性の職員さん二人がついて、丁寧に説明してくれて、着させてくれた。
なんだかとても日本を感じる。

ここに来るために、あわててホームセンターで買ったこのマスクや長靴は無駄だったなあ・・・と思う。

と同時に、支給されたマスクも、働いている人がしているマスクも、不織紙の薄いマスクであることが気になる。ホームセンターで売っていた3Mの放射性粉塵用のマスクはもっと分厚かった。





本日の会場の線量率、0,32μSv/h

線量率ってなんだろうと思う。0,32μSv/hって、高いんだろうか低いんだろうか。
そしてそれは誰にとって?

仮にそれが高かったとする。
高いっていうのは比較の上での言い方なので、客観的に言いかえれば、それは有害で、何パーセントの人に、かくかくの健康被害を及ぼすってことだと思う。

その何々パーセントって高いんだろうか低いんだろうか?

数年前にわたしは病気になった。ある統計によれば、発症率は0,00044%だという。
0,00044%は確率としてはとても低いけれど、当たったこっちとしては、いま持ってる命が100%だ。治療の痛さや死を意識した時の奇妙な感じは、発症率が100倍高い病気だった場合と変わらないだろう。

さらに私は、ある統計によれば、60%の確率で10年以内に死ぬらしかった。
10年以内に死ぬ確率60%って高いんだろうか低いんだろうか。
誰でも10年以内にはなんらかの理由で60%くらいの確率で死ぬような気もする。
そして死ぬ確率は60%でも、死ぬときは100%死ぬ。

そんな数字って、生身の生きてる感覚からずいぶんかけ離れている。
こっちはたった一回生身で生きてる人生を、抽象的な%が何回も横切っていく。
何重にも累積した%の最後に、0,32μSv/hという数字と単位があって、数字が表す実体は見えないし、匂いもしない放射能だ。

0,32μSv/hとコピー用紙に印刷して張られたって、怖いんだか怖くないんだか、わたしには急にはわかりもしなかった。






わからないままスクリーニングポイントを過ぎ、車内の線量率が上がった。





まとまらないことを考えているうち、車がゲートの中に進んで行く。





つづく