1.2.15

スバールバル 2013年夏(1)

スバールバルという島は、とても北にあるけれど、そんなに遠いという感じもしない。島で最大の町、ロングイヤービーエンまで、ノルウェーの首都から直行便が出ている。ロングイヤービーエンの人口は2000人ちょっとだが、水道電気、インターネット、教育機関などのインフラがすべて、先進国の首都圏と同レベルか、それ以上にそろっている。水はパリよりよく出るし、水質もいい。スーパーでは、キッコーマンのお醤油も、フランス産のカマンベールも買える。タイの新鮮な野菜が翌日に店の棚に並ぶ。ロングイヤービーエンは北緯約80度。イトコトルミットは北緯70度ちょっとだが、二つの集落の生活インフラや住民の経済レベル、いわゆる「僻地感」は雲泥の差だ。イトコトルミットのような場所を想像していた私は、少し拍子抜けした。






スバールバルに行ったのは、また父に呼ばれたというか誘われたからだった。2013年夏のことだった。今回父は、福島の原子炉事故の同地への影響を調査するらしかった。たまたま父とオスロの共同研究者が、事故前の放射線量のデータをとってあったので、同じ場所で事故後と比較してみましょうということだったと思う。日本とノルウェーのスタッフで、10人乗りの船に乗り込んで、海を移動しながらサンプリングをした。(サンプリング=自然の中のいろんな断片を切り取って、後で調べるために、凍らせて研究室に持って帰る。)私は記録係という名目だった。







みんなは船の甲板にビニールシートで雨よけの屋根をはり、箱などを組み合わせて机のようにして、簡易ラボを作った。ヨルンは今回、もう一人ヨルンというハンターを連れてきて、船からさらに小回りのきくゴムボートを出して、鳥やアザラシを獲った。鳥類は個体全体を、アザラシは解体して検査に必要な臓器だけを、急いで船に持ち帰る。血液だけは、すぐに固まってしまうので、ヨルンがその場で注射器で試験管に採った。私は記録係という名目で、ゴムボートに乗せてもらった。何もできないのに一人分の場所をとって・・・。






この日は晴れていたから屋根代わりに貼ったビニールシートを取った。10日ほどの行程中、1日か2日をのぞいて、小雨と強風が絶えず、凍える中で作業しました。写真の彼女は、ゴム手袋の中にメリノウールの手袋をはめています。