28.2.15

ブルキナファソの10日間(4)

日曜日。昨日と違うマルシェで、dolo(ドロ)をいただく。ドロはコウリャンが原料の地ビール。常温で、丸い木の器で飲む。




お客さんどうし回し飲みしたり、あまりを人にあげたりして、今考えると衛生的に微妙だが、楽しいのでOK。実際別に何も起こらなかったし。




ロバの肉を焼いていたので食べた。




おいしい。ブルキナファソは最貧国の一つなどと言いながら、みんなこんなおいしいお肉を食べているのか・・・。串の先についた苦いウリと、好みでつけるスパイスも最高にうまい。別のスタンドに犬もあったらしいが、売り切れてしまっていた。


そして教会のミサに見学に連れていってもらった。ちょうど到着したときは、みな速いテンポのジャンベにあわせて何か憑依したように踊っていた。日曜の朝。まさか昨日の夜から踊っていたんじゃないかというフィーバーっぷり。知ってるキリスト教の賛美歌とぜんぜん違う系統の音楽。チルアウトには、ゆるめのバンドの伴奏に、着飾った女性たちの合唱。これも知ってる賛美歌とは違う。アフリカらしく、一人一人の強い声がずれたり重なったりして心を打つ。写真撮影の許可はもらったけど、公開は控えます。録音もしたけど、CDがあったら欲しかったー。


お昼は諸用でレストランで食べる。大好きなジンジャージュースがパリで飲むより当たり前だけどおいしい。ジンジャージュースは手作りで、こんなにおいしいのに、コカコーラの4分の一くらいのお値段(確か)。世界の不平等を感じる。


夕方、知人の知人のお宅でtô(トー)をご馳走になった。トーはふのりのような質感の食べ物。人々はソースと呼ぶけど、カレーのルーのようなものをかけて食べる。味うんぬんよりもその手間数におどろいた。毎日餅つきをするくらいの仕事量。女性が働き者すぎてすごい。特に、水が不便(水道が来ていない)ななかで、食前食後に、食器類をすばやく器用に洗っていくテクニックに感服した。






日が暮れる頃になると、日中の暑さのせいか、日光のせいか、バッテリー切れのように突然眠くなる。また、この日くらいから、手足のむくみが普通じゃないことに気がつく。脚を上げて寝てみても変わらず、不思議。



26.2.15

ブルキナファソの10日間(3)


友人と合流し、小型バスに乗ってZiniaré(ジニアレ)に移動した。





バスの上に荷物を載せている人の足。バスの上には自転車やバイク、動物などが載っています。卸業の人も利用しているのか、商品らしき同じものがバスと同体積くらい載っているバスもある。中は超暑かった。





だんだん風景が田舎になっていき、ワガドゥグから一時間ほどでジニアレに到着。






友人宅には守衛さんがいて、塀で囲まれた中にはニワトリがいっぱい。そして犬が一匹。ヤモリの巨大なのがちょこちょこいて、時々「ケッケッケッ!」とよく響く声で鳴く。最初聞いた時、携帯の呼び出し音かと思った。

バイクの後ろに乗せてもらい、マルシェに行く。バイクはノーヘルだと涼しくて本当に快適。これからはノーヘル派で行きたい。




マルシェは数日おきに開く。この日は閉まっている日だったので、開いているお店はまばらだった。

売っている野菜もくだものも、見た目がいまいち悪い。オレンジは皮が異常に硬いし、ネギは葉の部分がとても短い。でも、食べてみると、中に味と香りが濃縮していて、すごくおいしい。パリのビオマルシェもお話にならないおいしさ。気候が乾燥しているせいかもしれない。

生地屋さんで布を買って、服を仕立ててもらう。ブルキナファソでは、例えば「2015年のバレンタインデーの生地」など、イベントごとに布が発売され、イベントにあわせてその生地で服を仕立てる習慣というか楽しみがあるらしい。




お風呂はバケツで水を浴びる。トイレは直径15〜20㎝の穴。だけど想像したよりまったく不便を感じない。特にトイレは、乾燥のせいなのか、40度の気温のせいなのか、水洗トイレより臭くないので驚いた。穴が小さくて慣れるまで緊張したけど。


25.2.15

ブルキナファソの10日間(2)

その辺にかっこいいものしかないことに気づいた。



乗り物系は特にかっこいい。
























ものの売り方もかっこいい。
















































かっこいいミシンで直線縫いする人。Butterflyのヴィンテージです。








かっこいいシートベルト




























お昼ご飯を食べて、ジニアレに移動します。




24.2.15

ブルキナファソの10日間(1)



話の途中ではありますが、ここ10日間、ブルキナファソに制作に行ってきましたのでそのことを書きたいと思います。ただの日記です。

ブルキナファソは、西アフリカの内陸国。(地図/Wiki
Airbnb的なことをした時に知り合った方が住んでいるというので、お邪魔しました。

今回も、この方の家に偶然遊びに来ていた人が住んでいる町に遊びに行ったり、その人のお友達に職場の近くでやっているという犬を食べれるマルシェまで連れて行ってもらったり、そこで偶然話しかけてきた人にとうとう個人宅でやっているという解体まで案内してもらったりと、予定外の偶然がつながって、なりゆきまかせというか導かれている感じの旅でした。

最後には、偶然5分くらい話した人の「友達」という人が、空港までバイクに乗せてくれたのですが、無事に帰ってこれたプラスこんなに充実した旅ができたのは、出会った皆さん全員のおかげです。感謝の念がつきません。




13日朝にパリの自宅を出て、夕方に首都のワガドゥグに到着。気温40度。速攻で頭が痛くなる。その日はワガに宿泊。宿泊先(これもAirbnbで発見)の人が、飛行場まで車で迎えに来てくれた。



ブルキナファソではシートベルトもヘルメットも義務ではないらしい。ヘルメットは着用義務化する法案が通りそうになったことがあるが、反対デモで却下になったと教わる。理由は暑いから。そういえば最近日本では、よくわからない法案がスイスイ通ることをちょっと思い出す。

積載制限もなさそうです。












夜、宿泊先の兄弟に、街に連れてってもらった。ビールを飲んで頭痛は解消。気になっていた、トマ・サンカラの話など聞く。会話はフランス語。

部屋には、床に敷いたマットレスを蚊帳でかこったものが準備されてた(蚊を媒体にしてマラリアに感染するため。あと単純に蚊がうざいので)。夜中、虫の音なのか鳥の声なのか、聞いたことがない何かが外ですごかった。



翌朝は、5時ころニワトリとヤギの絶叫で目が覚めた。


朝の時間帯は、涼しく快適。

大人は働き、子どもと動物はのんびりしている。



ブルキナファソは、親切で勤勉な国民性で知られているらしい。ちょっと散歩しただけで、それがとてもよくわかった。(実は、パリでビザの申請をした時から感じていたのだが。)目があうと誰でも「こんにちわ」といってくれる

写真を撮ってもいいか、お母さんらしき女性にたずねたところ、もう一人連れて来てくれた。







子どもたちは、写真が好きらしく、最初はちょっと緊張しているけど、慣れると、もっと撮って!とかこの子も入れて!とか言ってくる。たまに大人も言ってくる。







出発する前から、隠れた旅の目標として、「ちゃんと人の顔を撮ろう」と思っていたので、思う存分撮らせていただきました。人を撮ろうと思ったのは、ブルキナファソの人が人当たりがいいからというわけでは特になく、人がこっちを見ている写真が、フォルダ内にあまりに少なかったのでなんとなく撮ってみたくなったのです。




日差しが強くなってきて、気をぬくとすぐに露出オーバーする。





長くなったので、つづく。


10.2.15

スバールバル 2014年冬(1)

2013年の夏、船の旅から陸地に戻ってきてすぐに、「またここに来てみたいなー」「冬の景色も見てみたいなー」と思った。その時点では、そこで何をしようとかはっきりと頭にあったわけではない。ただ、もう一度冬に来ようと決めたのだった。泊まる場所も決めてしまった。

ハンティングについて行ったり、獲った動物の捨てる部分で何かを作って・・・という制作欲が芽生えたのは、もう少し後、パリに帰ってからだった。しかし、何をどうすれば良いかわからなかった。ロジスティックをしてくれるヨルンのような人にアレンジをお願いするお金はなかったし、そもそもそういう器用で賢い考えが頭に浮かばなかった。スーパーやバーに、ハンター募集の張り紙をして、計画を遂行するつもりでいた。しかしそんなのでうまくいくだろうかと不安しかなかった。今思えば、もっとヨルンや周りの人に相談すればよかった。出発の少し前に、ロングイヤービーエンに住んでいるという日本人女性から、どういうわけか連絡をもらい、すこし心強かった。彼女は、2013年の秋に来たらしく、前回行った時はまだいなかったらしかった。

中継地のオスロでは、知人数人に、防寒のための下着や長靴を借りて回った。準備したハンター募集の張り紙のノルウェー語も直してもらった。オスロの女の友人たちは、なんでも「ハインリッヒ(前回の船の旅の船長)に頼みなよ!」しか言わないので、ハインリッヒは私のなんなんだと思っておかしかった。




ロングイヤービーエンは、雪で真っ白だった。マイナス40度まで大丈夫な長靴と、その他下着のおかげで、あまり寒さは感じなかった。というかあまり気温も低くなかった(マイナス3度くらい)。ただ、風が強くて、雪がつもらないでどんどん吹き飛ばされていくのが珍しかった。

現地に着いてから、スーパーも良いがアウトドア洋品店にも張り紙をしようと思いつく。ハンティングに行く人は、何か備品を買うように思ったからだ。そこで店員さんに、シッセルマンのことを教わる。
シッセルマンは、スバールバルの警察のようなもので、狩りをしたい人は皆そこに申し出て登録することになっているらしい。その時点では、なんだかよくわからなかったが、とにかくさっそくシッセルマンに向かった。

8.2.15

スバールバル 2013年夏(5)

ある日、全員で陸に上がって、コケを採集した。船上から、久々の解放だった。


























古い船と小屋の跡があったが、無人だった。踏み固められることがないせいか、びっしり生えたコケのせいか、地面のふかふかした感触が不思議だった。











動物のフンやツノも落ちていた。



海藻も何種類か取った。




海の小さい生き物、海老やオタマジャクシのようなものや、プランクトンのようなものも採集した。瓶に海水をすくうと、こういう小さい生き物が入ってくるし、アザラシを解体していても、肉を食べる海老のようなものがすぐに寄ってきて、あっという間に毛皮にびっしりになっている。哺乳類や鳥類の種類の少なさに比べると、スバールバルの海の小さな生き物は、種類も数も豊富な印象だった。










哺乳類といえば、シロクマもいた。また、時々山肌にトナカイの群れが見えた。トナカイは、よく見ないと全くわからないほど、周囲の色に溶け込んでいた。


スバールバル 2013年夏(4)

鳥類、魚類、海の小動物、植物のサンプルも取った。




鳥は、ゴムボートの上から狙ったり、岸に上陸したりしてねらう。調査に必要な鳥の種類と数をあらかじめ役所に届けてあり、所定数に達するまでひたすら撃ってはサンプリングしていく。どの鳥も、猫くらいの大きさと重さがあった。胸の部分の羽を少しむしって、皮膚と胸骨をハサミで切り開き、すぐに血を採る。体は丸ごとビニール袋に入れてすぐに船に持ち帰った。




魚は、船上から取った。サオもエサもつけないで、ヒモを垂らしてとる船にレーザー機能のようなものがついていて、海底に生き物がいるとわかるようになっていて、魚の群れと見たら、ヒモを垂らした。



鳥も魚も、体を開けてみると寄生虫がいることが多かった。(寄生虫のサンプルはとらなかったが)
























サンプルを取り終わった鳥や魚は、食べれるところは食べて、食べられない部分は海に捨てた。残りの体は、なにかに食べられたり、分解されたりして自然に戻っていく。
ゴミのルールは、「食べれるものは海に捨ててもよい」というルールだった。例えば、紙は捨ててはいけないけど、ケチャップは捨ててもよい。科学的な根拠はわからないが、そういうルールだった。



子持ちのマスが釣れた。ノルウェーではイクラを塩漬けで、日本ではしょうゆ漬けで食べる。どちらの味付けにするかで、軽い仲間割れが起こった。結局二つのボールに分けて、一つを塩で、もう一つをしょうゆで味付けし、お互いそれぞれの方式が最高だと確認しながら食べた。