4.1.15
イトコトルミット(1)
集落には赤いトヨタの軽トラが一台ある。常にキーが挿しっぱなしになっていて、誰でも使いたい時に使うことができる。ヨルンの運転でそれに乗って宿泊場所に向かった。
家々がなんとなく集まっているあいだの、なんとなく道っぽい部分をトヨタは揺れながらゆっくり進んだ。地面は瓦礫のような石でできていてデコボコだった。大きな犬が、あちこちをうろうろしていた。500人くらいがこの集落に住んでいると聞いた。
外海の天気が悪すぎるので、陸地にとどまって様子を見ようという計画らしかった。メンバーは、日本から来た父たちと、父の共同研究者がオスロから派遣したスタッフ、コーディネーター的なハンターのヨルンで、先ほどのデンマーク人女性の正体は、泊まった小屋のオーナーの奥さんだった。
ベッドルームだけが長屋のようになった棟とは別の、キッチンやトイレ、シャワーがあるメインの小屋で、出発に向けて食事や備品を準備して過ごした。集落には一つだけスーパーマーケットのような体裁の店があり、食料品や日用雑貨を売っている。翌朝、そこに買い出しに出かけた。
アイスランドのスーパーマーケットで、元気がなくほとんど味がしない野菜やくだものが、当時の自分にとっては信じられないほど高い値段で売られているのに驚いたばかりだったが、ここの青果コーナーはレベルが違った。
緑の野菜はブロッコリーのみ。それも株の半分が茶色くなっていた。スーパーの仕入れは半年に一回らしく、長期冷凍保存で冷凍焼けしたらしい。ちなみにここでは食器や大工工具と並んで、銃も売っている。銃は緑黄色野菜より選択肢が広く、3、4種類かもっと種類があったと思う。私たちは半分変色した、見切り品としてすら落第な一株500円のブロッコリーをカゴに入れた。
買い出しを済ませ、保存食の準備をした。昨日までの旅で収穫したというシロクマも料理した。簡単な昼ご飯の後、各自でのんびりしていた。ヨルンだけは海にイッカクが見えたといって飛び出していった。
他の人たちは昨日までの過酷な旅で疲れていた。小屋にはトイレがあったが水洗ではなかった。水の代わりに黒いポリ袋が排泄物を受け止める。悪臭を放つトイレと同じ空間にあるシャワーは、雪解け水を各自バケツでタンクに汲んで来て沸かす方式で、すぐお湯が切れる。薄暗く、昔北京で入ったドアのない公衆トイレを凌ぐハードコアな施設だった。何が嬉しいんだか私にはわからなかったが、皆ありがたがって使っていた。