8月の一番暑いお盆のころだった。知らない人から英文のメールを、父からの転送で受け取った。「ウール100%の下着を持ってくること」とあった。くり返すが私は、8月の一番暑い時期の東京にいた。真冬でも生足にミニスカートで外出できる温暖な街だ。ウール100%の下着なんて履いたことも、売ってるところを見たことすらもない。まして冬物など見たくも触りたくもない炎天下、ウールが混ざったものすらどこにも売ってなかった。
十数日後私は冬に着るみどり色のアクリルの下着シャツと、年中はいている木綿のパンツを持ってグーリーンランドに到着、そこから乗り込んだ船上で、メールの差出人に「下着は?ウール100%じゃない!?死にたいのか!!」と怒鳴られた。そして先に到着し、風呂もないテントに悪天候のため閉じ込められていた父が一週間だか二週間だかはきっぱなしだったパンツを、洗濯もできぬままはくはめになった。それが私と極地との出会いでした。ハンターはヨルンさんと言って、10年近くたった今でも付き合いがある。
約10年の間私は、この出来事を思い出す場面に何度も遭遇した。ヨルンさんの言っていたことは本当だと思う。着るものは、体の温度調節にとても大切だ。どんなにささいに見えることでも。極地じゃなくて、街の中でも。適切でない着衣のせいで、寒がったり、暑がって汗をかいた後寒がっている人に会うたびに、私は知っていることを教えるけれども、その話を真面目に聞いて実行する人はほとんどいない。
ウールは神様が作った。ヒートテックやフリースは、石油から人が作った。
ヨルンさんはそう言った。またはウールでなくて「羊は」と言ったかもしれない。道中私はヨルンさんや彼の同僚が、本当に物をよく知っていることにずっと驚いていた。天気のこと、動植物のこと、危機管理のこと、昔の話。私は何も知らないんだなと思った。
父がそのグリーンランドの東海岸イトコトールミットという場所で何をしていたかというと、原住民の母乳から出るダイオキシンの調査をしていた。グリーンランドでは、日本人のようなアジア系の顔の人たちが、極寒の中、ひたすら厳しく細々と生活している。その生活ぶりは一見ダイオキシンと無縁だ。何も知らない私の知識においてダイオキシンといえば農薬か化学兵器だが、グリーンランドはほとんどが永久氷河に覆われて、農地どころか草も生えない、虫もいない。戦争するほど人間もいない。