出発前、知人には、「動物の解体現場に興味がある。写真が撮れたら嬉しい」と簡単に希望を伝えていたものの、制作として何をどこまでできるのか、まったく未知で一定以上の期待はできなかった。ブルキナの人々の慣習、とくに食肉と屠殺、宗教が関る部分と、そこで私自身の人種や性別がどう受け入れられるんだろうかってこと。出発前に得られる情報はごくわずかだった。
ところが到着してみると、知人が、ちょうど数日前に近所で解体場を発見したという。私と一緒に立ち寄ることも、写真撮影の承諾も、もらえたという。(それも発見した当日、たまたま解体作業が遅れていて、彼女がいつも通る時間まで作業が続いていたために見つけることができたらしい)。月曜日がマルシェの日だった。
朝7時。解体場は、半分おおわれて半分閉じた野外劇場のような建物だ。
そこにヤギ(現地の人はヤギも羊も「mouton」と呼ぶ)が、少しずつ運ばれてくる。ヤギは四肢を結ばれて、自転車のカゴなどに入れられてくる。「メエエ」とか叫ぶヤギもいるし、静かなのもいる。屋根が途切れるあたりに、床のタイルが少し高くなっている部分が二つ並んであって、真ん中が溝になっている。その高くなっている部分をまくら代わりに、ヤギの頭をのせて、職人たちがナイフで首を切っていく。切り口から吹き出した血が、うまく溝に入って、建物の外に流れていく仕組みだ。
血が流れきったら、頭を切り取り、消化器系を取り出して、皮をはぐ。だいたいの手順はトナカイと変わらない。捨てる部分はほとんどない。内臓も頭も、ひづめも、毛皮に包んで持ち帰る。捨てられたのは血液と(トナカイなどと違って、血は食べないらしい)、消化器系の内容物、そして胎児が入った胎盤だった。
時間がたつにつれて、人が少しずつ増えていき、それぞれがヤギ一頭にかかりきりになって黙々と働く。終わったらつぎのヤギ。個人作業だ。私は間を行ったりきたりして、撮影したり、質問したりした。どの人もみな、まっすぐに答えてくれた。また、捨てる部位が出た時は「これいる?」と聞いてくれたり。俺の写真も撮って!とか。少しだけ仲間になったような気分。
この場の最年長者らしい人は、くしゃとした柔らかい顔でわらうおじちゃんだった。イスラム教徒で、豚やロバは解体しないらしい。くしゃっとした顔で時々周りと笑いながら働いているが、ナイフさばきがすごかった。
終盤になって、獣医さんたちが来て、病気のチェックをして検印を押していった。寄生虫が見つかった一頭以外、すばやくバイクや自転車に積まれてマルシェに運ばれていく。
私は作業で手が血だらけになってしまったので(ちなみにこの施設に水はない。職人たちは、ヤギの体や壁で器用に手を拭いながら作業していく)、近くの小学校の井戸で手を洗わせてもらった。
そして流れで授業まで受けさせてもらった。1クラス100人程度。クラス分けせず一学年まるまるらしい。フランス語で行われる、一年生の算数の授業。この机の幅やクラスの規模に日能研に似たものを感じる。ただ、みんなノートじゃなくて黒板にチョークで勉強している。
帰宅して、カメラのモニターでこの日撮った作品を見て、一人で興奮した。知人に、そしてその友人にも、何から何まで、お世話になった。特にこの日のことは、感謝の念が尽きない。