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8.2.15

スバールバル 2013年夏(5)

ある日、全員で陸に上がって、コケを採集した。船上から、久々の解放だった。


























古い船と小屋の跡があったが、無人だった。踏み固められることがないせいか、びっしり生えたコケのせいか、地面のふかふかした感触が不思議だった。











動物のフンやツノも落ちていた。



海藻も何種類か取った。




海の小さい生き物、海老やオタマジャクシのようなものや、プランクトンのようなものも採集した。瓶に海水をすくうと、こういう小さい生き物が入ってくるし、アザラシを解体していても、肉を食べる海老のようなものがすぐに寄ってきて、あっという間に毛皮にびっしりになっている。哺乳類や鳥類の種類の少なさに比べると、スバールバルの海の小さな生き物は、種類も数も豊富な印象だった。










哺乳類といえば、シロクマもいた。また、時々山肌にトナカイの群れが見えた。トナカイは、よく見ないと全くわからないほど、周囲の色に溶け込んでいた。


5.1.15

イトコトルミット(2)

特にすることもなく、適当に高台に登った。なぜ船で外へ出られないかわからないほど天気が良かった。たいして高くもなかったが、そこから集落全体が見渡せた。どこに誰がいるのか肉眼で見える。人口500人っていうのは、見た感じこのくらいなんだなあと思った。おもちゃみたいだった。色は黄色かえんじだった。全部同じような形の小さい小屋だったけど、その中に郵便局や、警察や、監獄まであるらしい。

郵便局には、集落の唯一の公衆電話があった。普通の電話が一室にポンとおいてあった。そこから日本の母に電話した。通話後、かかった金額を窓口で言い渡される。別に高くはなかったと思う。通話の質は思ったより悪くなかった*が、良くもなかった。(*エコーがひどくて会話が成り立たないのに3分4000円とかした昔の国際電話に比べて。)

地面は硬い石の瓦礫でできていた。サーモンピンクやうす緑など、ちょっと不思議な色をしていた。拾ってみると、斑点があったり、うっすらと銀色に光っているのもあった。動物のフンや骨がいたるところに落ちていた。骨は犬の食べ残しだろう。あちこちにいる巨大な犬たちは、つながれているのもいたし、放し飼いのもいた。毛がボサボサで愛想がなく、1メートル以内に近付いてもまったくこちらに興味を示さない。

小腹が空いて小屋に戻った。ちょうどおやつの時間帯だった。チョコレートを探したが、誰も持っていない。じゃあまたスーパーに行ってくると告げると「もう閉まった」と言われた。一瞬意味がわからなかった。営業時間が10時から12時の二時間なのだった。


結局、一人が日本から持ってきたチョコを分けてもらった。彼は、小屋のポーチに腰掛けて日光浴をしながら、本を読んでいた。急に、彼の持っている本やチョコレートが、とんでもなくぜいたくで、貴重なものに見えた。




冬には、二階建ての小屋がすっぽりと雪に埋もれる。強い風が吹いて、荷物を運ぶ頑丈なソリが凧のように吹き飛ばされる。強風の中で、犬は雪に埋もれて丸くなって眠る。

4.1.15

イトコトルミット(1)

集落には赤いトヨタの軽トラが一台ある。常にキーが挿しっぱなしになっていて、誰でも使いたい時に使うことができる。ヨルンの運転でそれに乗って宿泊場所に向かった。

家々がなんとなく集まっているあいだの、なんとなく道っぽい部分をトヨタは揺れながらゆっくり進んだ。地面は瓦礫のような石でできていてデコボコだった。大きな犬が、あちこちをうろうろしていた。500人くらいがこの集落に住んでいると聞いた。


外海の天気が悪すぎるので、陸地にとどまって様子を見ようという計画らしかった。メンバーは、日本から来た父たちと、父の共同研究者がオスロから派遣したスタッフ、コーディネーター的なハンターのヨルンで、先ほどのデンマーク人女性の正体は、泊まった小屋のオーナーの奥さんだった。

ベッドルームだけが長屋のようになった棟とは別の、キッチンやトイレ、シャワーがあるメインの小屋で、出発に向けて食事や備品を準備して過ごした。集落には一つだけスーパーマーケットのような体裁の店があり、食料品や日用雑貨を売っている。翌朝、そこに買い出しに出かけた。

アイスランドのスーパーマーケットで、元気がなくほとんど味がしない野菜やくだものが、当時の自分にとっては信じられないほど高い値段で売られているのに驚いたばかりだったが、ここの青果コーナーはレベルが違った。

緑の野菜はブロッコリーのみ。それも株の半分が茶色くなっていた。スーパーの仕入れは半年に一回らしく、長期冷凍保存で冷凍焼けしたらしい。ちなみにここでは食器や大工工具と並んで、銃も売っている。銃は緑黄色野菜より選択肢が広く、3、4種類かもっと種類があったと思う。私たちは半分変色した、見切り品としてすら落第な一株500円のブロッコリーをカゴに入れた。


買い出しを済ませ、保存食の準備をした。昨日までの旅で収穫したというシロクマも料理した。簡単な昼ご飯の後、各自でのんびりしていた。ヨルンだけは海にイッカクが見えたといって飛び出していった。

他の人たちは昨日までの過酷な旅で疲れていた。小屋にはトイレがあったが水洗ではなかった。水の代わりに黒いポリ袋が排泄物を受け止める。悪臭を放つトイレと同じ空間にあるシャワーは、雪解け水を各自バケツでタンクに汲んで来て沸かす方式で、すぐお湯が切れる。薄暗く、昔北京で入ったドアのない公衆トイレを凌ぐハードコアな施設だった。何が嬉しいんだか私にはわからなかったが、皆ありがたがって使っていた。





29.12.14

今思うと情けないまでにぼーっとした私がイトコトルミットについた話

父は、下着の転送メールの後、音信不通になっていた。一足先に日本を発つ前に、私の分も航空券を手配してくれていたはずだが、自分のことで忙しくなったのか音沙汰なかった。オスロから電話しても出ない。アイスランドに着いたもののその先いつどこから何行きの飛行機に乗れば良いのか分からずさまよった。

今でこそ観光地として名高いレイキャビクだが、延々と続く木のない溶岩の平原と、その先に不気味に上がり続けている煙、どこからともなく常に漂ってくる硫黄の匂いに、地獄的なものを感じ、「ヴァイキングはよくここに入植しようと思ったな。私だったら発見しても、家に帰ったな」と思った。実際ヴァイキングは、アイスランドの入植に2度か3度失敗している。一度か二度は普通に飢饉のようなもので入植者が全滅した。もう一度は、近親婚で全滅した。普通そこで諦めるよな、と思った。

二日後見つけた飛行機は小さかった。北ノルウェーで乗ったセスナみたいだった。着いた場所は飛行場というか田舎の診療所みたいだった。田舎の診療所と違い、小屋の外には人間の息吹というものが一切なかった。緑のない山々が岩肌と砂利を露出して連なっていた。土で汚れた氷河が輝くでもなく曇り空と一体化していた。荒んだ印象のなか小屋の内部だけがかろうじて暖かく、到着した人も出発する人も同じ空間に寄り集まって、ぽつぽつ立ったり座ったりしながらポットに入ったコーヒーを飲んでいた。

どれが係員か乗客かもわからなかった。誰かに名前を告げて誘われるままヘリコプターに乗りつぎ、岩肌に50コくらいレゴの家を置いたような集落に降り立った。すぐに白人の女性が近づいてきて「あなたのお父さんはここにはいない。私の家にきて泊まりなさい」と言った。怪しい人なのか来る場所を間違えたのか。ついて行くしかなかった。

このデンマーク人女性と私は、この何年も後に別の場所で何度もすれ違う。が、縁がないのかお互いがお互いをあまり覚えていない。何人もの共通の知人から「⚪︎⚪︎がね」と聞いて、あああの人か!と思うものの、顔もあまり思い出せない。それは結局彼女のお家にはお世話にならなくてすんだからだろう。海を背景に、父が機材とともに陸に上がってくる映像が今でも脳裏に残っている。父のヒゲがあんなに伸びているのを生まれて初めて見た。その集落の名前がイトコトルミットだと知ったのは約一週間後、船の旅を終えて帰る直前お土産屋さんのTシャツに印刷されていた。




© Jørn E W Fortun