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10.2.15

スバールバル 2014年冬(1)

2013年の夏、船の旅から陸地に戻ってきてすぐに、「またここに来てみたいなー」「冬の景色も見てみたいなー」と思った。その時点では、そこで何をしようとかはっきりと頭にあったわけではない。ただ、もう一度冬に来ようと決めたのだった。泊まる場所も決めてしまった。

ハンティングについて行ったり、獲った動物の捨てる部分で何かを作って・・・という制作欲が芽生えたのは、もう少し後、パリに帰ってからだった。しかし、何をどうすれば良いかわからなかった。ロジスティックをしてくれるヨルンのような人にアレンジをお願いするお金はなかったし、そもそもそういう器用で賢い考えが頭に浮かばなかった。スーパーやバーに、ハンター募集の張り紙をして、計画を遂行するつもりでいた。しかしそんなのでうまくいくだろうかと不安しかなかった。今思えば、もっとヨルンや周りの人に相談すればよかった。出発の少し前に、ロングイヤービーエンに住んでいるという日本人女性から、どういうわけか連絡をもらい、すこし心強かった。彼女は、2013年の秋に来たらしく、前回行った時はまだいなかったらしかった。

中継地のオスロでは、知人数人に、防寒のための下着や長靴を借りて回った。準備したハンター募集の張り紙のノルウェー語も直してもらった。オスロの女の友人たちは、なんでも「ハインリッヒ(前回の船の旅の船長)に頼みなよ!」しか言わないので、ハインリッヒは私のなんなんだと思っておかしかった。




ロングイヤービーエンは、雪で真っ白だった。マイナス40度まで大丈夫な長靴と、その他下着のおかげで、あまり寒さは感じなかった。というかあまり気温も低くなかった(マイナス3度くらい)。ただ、風が強くて、雪がつもらないでどんどん吹き飛ばされていくのが珍しかった。

現地に着いてから、スーパーも良いがアウトドア洋品店にも張り紙をしようと思いつく。ハンティングに行く人は、何か備品を買うように思ったからだ。そこで店員さんに、シッセルマンのことを教わる。
シッセルマンは、スバールバルの警察のようなもので、狩りをしたい人は皆そこに申し出て登録することになっているらしい。その時点では、なんだかよくわからなかったが、とにかくさっそくシッセルマンに向かった。

8.2.15

スバールバル 2013年夏(5)

ある日、全員で陸に上がって、コケを採集した。船上から、久々の解放だった。


























古い船と小屋の跡があったが、無人だった。踏み固められることがないせいか、びっしり生えたコケのせいか、地面のふかふかした感触が不思議だった。











動物のフンやツノも落ちていた。



海藻も何種類か取った。




海の小さい生き物、海老やオタマジャクシのようなものや、プランクトンのようなものも採集した。瓶に海水をすくうと、こういう小さい生き物が入ってくるし、アザラシを解体していても、肉を食べる海老のようなものがすぐに寄ってきて、あっという間に毛皮にびっしりになっている。哺乳類や鳥類の種類の少なさに比べると、スバールバルの海の小さな生き物は、種類も数も豊富な印象だった。










哺乳類といえば、シロクマもいた。また、時々山肌にトナカイの群れが見えた。トナカイは、よく見ないと全くわからないほど、周囲の色に溶け込んでいた。


スバールバル 2013年夏(4)

鳥類、魚類、海の小動物、植物のサンプルも取った。




鳥は、ゴムボートの上から狙ったり、岸に上陸したりしてねらう。調査に必要な鳥の種類と数をあらかじめ役所に届けてあり、所定数に達するまでひたすら撃ってはサンプリングしていく。どの鳥も、猫くらいの大きさと重さがあった。胸の部分の羽を少しむしって、皮膚と胸骨をハサミで切り開き、すぐに血を採る。体は丸ごとビニール袋に入れてすぐに船に持ち帰った。




魚は、船上から取った。サオもエサもつけないで、ヒモを垂らしてとる船にレーザー機能のようなものがついていて、海底に生き物がいるとわかるようになっていて、魚の群れと見たら、ヒモを垂らした。



鳥も魚も、体を開けてみると寄生虫がいることが多かった。(寄生虫のサンプルはとらなかったが)
























サンプルを取り終わった鳥や魚は、食べれるところは食べて、食べられない部分は海に捨てた。残りの体は、なにかに食べられたり、分解されたりして自然に戻っていく。
ゴミのルールは、「食べれるものは海に捨ててもよい」というルールだった。例えば、紙は捨ててはいけないけど、ケチャップは捨ててもよい。科学的な根拠はわからないが、そういうルールだった。



子持ちのマスが釣れた。ノルウェーではイクラを塩漬けで、日本ではしょうゆ漬けで食べる。どちらの味付けにするかで、軽い仲間割れが起こった。結局二つのボールに分けて、一つを塩で、もう一つをしょうゆで味付けし、お互いそれぞれの方式が最高だと確認しながら食べた。

7.2.15

スバールバル 2013年夏(3)

アザラシに限らないが、血は空気に触れるとすぐに凝固して、絹ごし豆腐のような質感になる。


グリーンランドでも思ったのだが、血の色はおもしろい。濃く鮮やかで、周りの風景とは異質の色だ。これがもっと南だったら、果物や花の赤があったかもしれないが、それでも、都会で使われている印刷物やデコレーションの真っ赤な色は、果物や花よりも、流れ出たばかりの血の色に近いような気がする。

8月30日だか31日は、知人の結婚式だった。招待されていたのに、わたしはこの旅のために出席できなかった。そこで、彼女にむけて、この風景の中にグラフィティのようにメッセージを書いて、写真に収めてプレゼントしようと思いついた。もっともよい素材は、この赤い血のように思われた。内臓のピンク色もなかなかよかった。苔や石の色は、似かよっていて、超大胆すぎるこの背景に負けてしまうのだった。




ヨルンたちは、サンプルを取った後の内臓はその場に捨ててしまう。(筋肉や皮は、持って帰って犬ぞりのドッグヤードにあげた)。それをもらって、結婚式にふさわしいのはハートマークかな?と、地面に形作って写真におさめた。


フランスに帰国後、結婚した知人は厳格なベジタリアンで、「かわいそうだから」という理由で、頭のついたものは出汁でも粉末でも一切食べないという生活者だということを思い出した。それにあらためて写真を見直すと、そこには何か自分の狂気のようなものが写り込んでいる気がして、プレゼントは結局あげずじまいだ。かわりに、この何だかわからないが写り込んでいる、自分の世界の捉え方の本質のようなものが、もっと見たくて、もう少し同じような作業を繰り返そうと決意した。

6.2.15

スバールバル 2013年夏(2)

火星のことを詳しく知らないが、ゴムボートで海に出ると、想像の中の火星のようだった。目の前の景観はダイナミックでだだっ広く、そこに生き物の気配がほとんど感じられない。海の向こうの山は切り立って、氷河の影響で見慣れない岩肌をしていた。木はまったくない。すべてが薄い霧におおわれて、しずかだった。波だけが、タプタプとしていた。














ここにもしも一人で残されたら、到底生きていけないだろう厳しい環境であるはずなのに、このように究極に、平和でのんびりして見えるのが驚きだった。衝撃なまでにのんびりしていた。温泉や、日本庭園の平穏さは、こういうのがモデルになっているんだろうか。

アザラシはこの広大な平和の中、ブルーグレーのゆっくりとした波の上にときどき ポカッ と頭を出してのうのうと泳いでいる。または、行くあてのない流氷の上に寝そべっている。用事とか、時間とか、方向性とかとは無縁に見える(私が普段の暮らしの中で使う意味では)。




ゴムボートは、広い壁にささった赤いがびょうのように小さい。ビーーーーーーーーとエンジンの音をたてて進む。水面に浮いていた波と同じ色の小鳥の群れがびっくりして飛び立つ。十分にアザラシに近づいて、エンジンを切る。アザラシは、自分に向けられた銃に気づくと、「あっ」という顔をしてヒレをパタパタさせながら、重そうな体を水に隠そうとする。ヨルンは一発で頭を撃ち抜き、アザラシは即死する。







撃った体は、一度完全に水に沈んでしまったら、二度と浮いてはこないらしい。そうならないように、大急ぎでボートを再発進させて、二人のヨルンは協力して、冷たい海に体を乗り出して200~400キロあるアザラシの体をつかみとる。大きな体から、大量の血が海に流れ出す。鮮血の真っ赤な色で、海のブルーグレーがその反対色に傾いてコバルトグリーンに見える。急な失血によって、アザラシの体はまるで生きているように動く。厚い脂肪に切り込みを入れて、ロープをくぐらせ、ボートで岸まで引いていって解体する。









1.2.15

スバールバル 2013年夏(1)

スバールバルという島は、とても北にあるけれど、そんなに遠いという感じもしない。島で最大の町、ロングイヤービーエンまで、ノルウェーの首都から直行便が出ている。ロングイヤービーエンの人口は2000人ちょっとだが、水道電気、インターネット、教育機関などのインフラがすべて、先進国の首都圏と同レベルか、それ以上にそろっている。水はパリよりよく出るし、水質もいい。スーパーでは、キッコーマンのお醤油も、フランス産のカマンベールも買える。タイの新鮮な野菜が翌日に店の棚に並ぶ。ロングイヤービーエンは北緯約80度。イトコトルミットは北緯70度ちょっとだが、二つの集落の生活インフラや住民の経済レベル、いわゆる「僻地感」は雲泥の差だ。イトコトルミットのような場所を想像していた私は、少し拍子抜けした。






スバールバルに行ったのは、また父に呼ばれたというか誘われたからだった。2013年夏のことだった。今回父は、福島の原子炉事故の同地への影響を調査するらしかった。たまたま父とオスロの共同研究者が、事故前の放射線量のデータをとってあったので、同じ場所で事故後と比較してみましょうということだったと思う。日本とノルウェーのスタッフで、10人乗りの船に乗り込んで、海を移動しながらサンプリングをした。(サンプリング=自然の中のいろんな断片を切り取って、後で調べるために、凍らせて研究室に持って帰る。)私は記録係という名目だった。







みんなは船の甲板にビニールシートで雨よけの屋根をはり、箱などを組み合わせて机のようにして、簡易ラボを作った。ヨルンは今回、もう一人ヨルンというハンターを連れてきて、船からさらに小回りのきくゴムボートを出して、鳥やアザラシを獲った。鳥類は個体全体を、アザラシは解体して検査に必要な臓器だけを、急いで船に持ち帰る。血液だけは、すぐに固まってしまうので、ヨルンがその場で注射器で試験管に採った。私は記録係という名目で、ゴムボートに乗せてもらった。何もできないのに一人分の場所をとって・・・。






この日は晴れていたから屋根代わりに貼ったビニールシートを取った。10日ほどの行程中、1日か2日をのぞいて、小雨と強風が絶えず、凍える中で作業しました。写真の彼女は、ゴム手袋の中にメリノウールの手袋をはめています。